独仏瑞三国旅行雑感


勇躍、成田を飛び立つ
2月中旬の午後1時30分。小雨の煙る成田よりフランクフルトに向けて出発。万一墜落したときのために機体の写真を遺影として撮っておく。結果的には無駄な一枚となった。


月は東に日は西に
おお、城達也のナレーションが聞こえるようではないか。「ジェット・ストリ〜ム」


フランクフルトに到着
12時間のフライトの末、現地時間で夕刻のフランクフルトに到着。空港内のカフェで一休みするも椅子が高く、我々の腰ほどもあった。ドイツ人あなどるべからず(因みに私は中学1年生の体格である)。機内では映画を3本ばかり観ており、目は冴えていたが、そのまま宿泊地ハイデルベルグのホテルに向かう。(初日宿泊 アストロンバインハイムASTRON WEINHEIM)


いよいよツアー開始である
ホテルの正面玄関である。左端に写っているバスが今回の旅の足となってくれた。しかしこれ以外に写真はない・・・・・・。お礼のしるしにリンクを張っておくので、ぜひ利用していただきたい。
なお、私たちに利害関係のある人物の顔写真は修整した(主に妻の顔であるが)。もしご自分が写っているということがあり、不都合であると思われたらご一報いただきたい。
今回の行程はほとんどバスによるもので、それだけ経済的なツアーとなっている。全国各地から善男善女が32名参加しての、独仏瑞観光地めぐりである(瑞西=スイス)。お断りしておくが、この記事はほとんど自分の覚書きとして記したもので、内容については主観がすべてである(誤解があってもそれはこのHPを見てしまったほうが悪いということで・・・・・・)。


ハイデルベルグ城
ハイデルベルグ城というのは、13世紀ごろに建てられたもので、その後の増改築によりゴシックやルネサンス様式が混じっているとのこと。どこぞの老舗旅館がたしか玄関は明治だが、渡り廊下や大浴場が近代建築だったような気がするが、きっとそのようなものだろう。←ちがうって!


いや〜中世っていいですねぇ
ハイデルベルグ城から見るネッカー河である。ネッカー河というのははじめて知った。広島で言うと太田川のようなものであろうか。とにかく地震のない国の建物はやたらごちゃごちゃしていて見栄えがいい。これらのレンガには鉄筋も入っていないはずだし、姉歯さんもドイツ人ならよかったのに。ちなみに、集合時間直前に便意を催し、出発を大幅に遅らせたのは私の不徳のいたすところである。


悪ガキが落書き
ネッカー河にかかるアルテ・ビュリュッケ橋である。橋のたもとの門衛所であろうか、上部から柵が降りるようになっている。レンガ壁に落書きが描かれている。どの国にもしょうもない奴がいるものである。


騎士の家
ハイデルベルグから120Kmはなれたローデンブルグである。ここはロマンチック街道の中心地らしい。有名な市庁舎がある。戦火や災害がないのであろうか、それとも建築手法が昔から変わっていないのか、中世らしき建物ばかりである。倉敷の美観地区でも道路沿いだけが昔の家並みなのに、ここは奥の路地まで中世だ。写真はハウス・ツム・リッター(騎士の家)。16世紀に建てられた建物である。内部はホテルとレストランになっている。一般にヨーロッパのホテルはアメリカと比べて設備は古く、アメニティにも乏しいそうである。きっとこのホテルも待遇はそれなりだろう。しかし一度は泊まってみたいものである。



あなたの呼ぶ声 忘れはせぬが 出るに 出られぬ 籠の鳥
中世犯罪博物館である。拷問器具が展示してあるというので、もっとグロいのを予想していたのだが、展示はソフトだった。展示品はショーケースの中に入っており、写真ではわかりにくい。中央は小さな檻(おり)で、肩身が狭い思いをさせるのだろう。手前は首枷(くびかせ)。世界共通だ。


黒ひげ危機一髪
処刑当時のジオラマである。中央の情景をどこかでみたことがあると思っていたら黒ひげ危機一髪だった。あのゲームはまだ売れているんでしょうかね。


蝶は舞い、埃も舞う
夕刻、バスはミュンヘンへ。お決まりのビールを堪能。このレストランではお嬢さん方がダンスやハンドベルを披露してくれた。ダンスはテーブルのすぐ前で跳んだり跳ねたり(注)してくれるので、とてもうるさ(うれし)かった。
(注:同じ漢字を使うとは気がつかなかった。)
(2日目宿泊 ホリディ イン サウス HOLIDAY INN SOUTH)


はるばるきたぜ工事中
今回のツアーの見所のひとつ、ノイシュバンシュタイン城である。外壁工事中であった。足場とシートが実に無粋である。私はいつもこういうめにあう。目当てのレストランが休みだったり、開いていても美味しくなかったり。話は変わるが、秋葉原の秋月電子には東京出張のたびに行くのだが、3回に2回は休みである。仕方がないので近くの千石通商で買ってしまうのだが何とかして欲しい。多分、秋月電子は年間数千円は損しているのではないか。しかしそれでも足は秋月に向いてしまう。電子工作好きの血に含まれる鉄ヘモグロビンが秋月の磁力に吸い寄せられてしまうのであろう。


ノイシュバンシュタイン城(裏バージョン)
ノイシュバンシュタイン城は、1階から展望室まで階段で上り下りすることになるとのこと。足腰の弱い妻がついて来られるか心配したが、途中、広間などでの説明もあり、婦女子でも楽に登れたようだ。どうもこの手の城を見ると二階堂黎人の「人狼城の恐怖」を思い出してしまう。やたらと長いあの小説のトリックは(中略)なので、どうしても窓の外に同じものがないか探してしまうのである。(写真は工事をしていない裏側からのものである)。


白鳥城もどきでご勘弁
工事中の城に代わり、ノイシュバンシュタイン城のペーパーモデルを紹介しようと思っていたが、どういうわけか眠れる森の美女城(Sleeping beauty's castle)を作ってしまったので、これを紹介する。いずれノ城を作ったときには差し替えることとしたい。


何の変哲もない電車を激写
ノイシュバンシュタイン城からバスで5時間かけてユングフラウ地方に向かう。夕刻、列車と併走する機会があり、私は決して鉄ちゃんではないのだが、慌ててカメラに収める。車内からの撮影の場合、外部が暗くなっていると窓に反射するので、できるだけカメラを窓ガラスにくっつけて撮影するのが常識である。コンパクトカメラの場合は、手のひらでレンズと窓の間にフードを作ってやればよい。私は一眼レフなので、ゴムで柔らかいフードを自作して窓ガラスに密着するようにして撮影している。しかし、窓の外側が汚れていたり、窓が二重ガラスになっていたりすると効果は薄い。窓ガラスを舐めんばかりに顔を近づけてカメラを構えるさまは、初めて電車に乗る幼児と一緒である。(3日目宿泊 シャレースイス CHARET SWISS)


酷寒の頂上でへたれる
ユングフラウのふもとグリンデルワルド駅から登山電車に乗り、ユングフラウヨッホ頂上駅まで乗り継いで行く。途中山腹をくり抜いたトンネルの中に展望台があり5分くらい停止してくれる。ガラスの外は白一色である。この頃はまだ外の寒さがわからない。頂上駅から厚い扉を開けて外に出ると、いままで体験したことのない寒さである。地面は圧雪が凍結しており、とにかく風が強い。顔に痛みすら感じる。何人もの観光客が談笑しているのが信じられない。さすがに外人は厚顔だ。日本男児としてものの5分も辛抱できなかったが、しっかり転んで印象付けてやった。カメラを放さなかったのがせめてもの救いだ。登山家はこうした環境で何日もかけて頂上を目指すのだが、被虐趣味としか考えられない。



ユングフラウヨッホ頂上駅、氷の彫刻
駅内部は氷の彫刻が並んでいる。通路も氷である。ここでも転びかけた。ゆっくり鑑賞する余裕はない。早々に退散する。


ハイジの里
アルプスの少女ハイジの故郷である。牧歌的を絵に書いたような風景である。実際に緑の映える夏に来ると料金は3倍くらいに跳ね上がるだろう。この風景で夏を想像することで数十万円の節約である。この数日はめったにないくらいの好天だそうだ。さすがに善男善女がそろうとパワーが違う。


レマン湖散策
午後、ジュネーブでレマン湖付近を散策。左奥の建物は銀行らしい。スイスの銀行だからゴルゴ13やホリエモンも利用しているに違いない。ちょっとリンクを張っておこう。皆さんもぜひ利用してほしい。(4日目宿泊 名前失念)


ジュネーブ出発
ジュネーブからパリへ向けてフランス新幹線TGVを利用する。約3時間である。フランスでは出札のときに切符を提示しないらしい。席は4人がけのボックスシートである。間に小さなテーブルがある。向かいの席では若い女性たちが添乗員にブランドショップの場所を聞いている。彼女たちにとってはこれからが本番だろう。


パリ到着
パリに到着して、パリ駐在の担当者から、まず治安の悪さについて注意を受けた(実は最終日近くに我々も襲われかけたのである。詳細は後日に)。若い女性がブランドショップから出てくるところを狙われるのである。日本人は裕福であるという幻想をいまだに抱いているらしい。若いのに外国旅行ができるという点では、それはそれで正解ではあるのだけれど。私たちの若い頃は「夢のハワイにご招待!」が売りの人気クイズ番組があったくらいで、それはもう・・・・・・。(写真はTGVの終点リヨン駅(注))
 (注)パリの南南西約400Kmにリヨンという都市がありそこに着くのかと誤解していた。リヨンにもノートルダム寺院というのがあり、さらに誤認を深めたのである。



エスカルゴ初賞味
パリでの初昼食は定番のエスカルゴである。香辛料がたっぷりと使ってあり、これならデンデンムシだろうが、ナメクジだろうが何でも食べられる。サザエよりはこちらが好みだ。



凱旋門
凱旋門である。ここでもバスでの移動なので車窓観光となってしまった。あと1日パリでの自由行動があるので、再度来るつもりが結局この時だけで終わってしまった。あまりに観光地らしいと食指が動かないのである。バスが動いているうえ窓ガラス越しなので不鮮明なのがご愛嬌。


エッフェル塔
エッフェル塔である。ここシャイヨー宮でバスを降りて記念撮影タイムである。ここからの景色が一番いいということである。ここもこの日来ただけ。エッフェル塔の展望台は歩いて上ると脅されていたので、パスしてしまったのだ。どうやらこの展望台から見るパリは絶景らしい。残念なことをした。


パントマイム
ここパリでは道端で絵を描いたり楽器を奏でたりしているのだが、近寄ったり写真を撮ったりすると金をせびられそうで怖い。このパントマイムもみんなが遠巻きにして写真を撮っていた。和装のようだが動きがロボットのようで不気味だ。


ノートルダム寺院
ノートルダム寺院の正面である。


ノートルダム寺院のステンドグラス
ノートルダム寺院の内部。ステンドグラスは圧巻である。三脚があれば鮮明に撮れたのであるが、手ぶれがいい味を出している(と思いたい)。三脚の必要性はこのあとのルーブル美術館で痛感することになる。


ルーブル美術館
ルーブル美術館はフラッシュ厳禁である。そのため薄暗い室内ではほとんどの写真がぶれていた。こういうところではばしゃばしゃ写真を撮るのはおのぼりさんである。じっくりと作品と対峙し、作者の意図・情念を時空を超えて心行くまで堪能することが肝要であって・・・・・・。ということで雰囲気のみ活写。


ベルサイユ宮殿
パリ中心地からすこし離れたベルサイユ宮殿。ここもフラッシュ禁止。陳列品などで雰囲気を味わっていただければ幸甚である。


ベルサイユ宮殿の庭
ベルサイユ宮殿の庭である。やたらと広い。日本なら駐車場に使うだろうに。屋台も出ていない。中央にあるのがルイ14世の像である。(5日、6日目宿泊 キリヤード ポート ドイブリー KYRIAD PORTE D'IVRY)


エドワード7世劇場
有名かどうか知らないがエドワード7世劇だ。ついでなのでリンクを張っておこう。


オペラ座の怪人再び
オペラ座に消防車(多分そうだろう)が来ていた。また怪人が現れたのか。それとも火事でオペラ座が灰燼に。映画「オペラ座の怪人」はDVDで何度も観た。冒頭のモノクロからカラーに移る瞬間は荘厳な音楽とも相俟って、いつ観ても気持ちが高ぶってしまう。


パリの中心街である
正面に見える塔はなんだろう。左側が銀行らしい。まるっきり縁がないが、ついでなのでリンクを張っておこう。


白昼、美少女に襲撃される
帰国前にパリ三越でお買い物。「今日は三越、明日はオペラ座」
実はこの後、私は二人組のジプシーの少女に襲われかけたのである。彼女たちは両手を広げてマフラーを持ち、その上に時計を置いて「買ってくれ(多分)」と言ってきたのだ。
私がその時計を吟味しているときに、マフラーで隠した手でウエストポーチから財布を抜き取るという手口らしい。らしい、というのは妻が、二人組みの美少女が私に寄ってくるのをみてただならぬものを感じ、私の手を引いて逃げたので、彼女たちは未遂に終わってしまったためである。彼女たちは私の前に立ちはだかり、なにやらサッカーの小競り合いのようになってしまった。
あとで添乗員に聞くと、やはり逃げるのが一番で、変に触ったり小突いたりすると屈強なお兄さんがでてきて面倒なことになるらしい。これで妻はすっかりフランス嫌いになり、ディズニーランド・パリには行きたいが、パリには行きたくないというジレンマが続いている。


無事、帰国
最終日は夕方の便でパリ・ドゴール空港から関空に帰ることになる。余ったユーロで土産物を少し買い帰路についた。帰りもJALだったので映画の上映があり、また3本観てしまった。機内で妻はまた土産物を買っていたが、結局この旅行で買ったものは、BURBERRYの新柄マフラー、BALLYの財布とスイス十徳ナイフ、粘土でできた建物の置物、CARAN d'ACHEのボールペン、ガッチャマン仏語版のアニメCD、キーホルダー、しおり少々である。実にチープな旅行であったが、添乗員氏の配慮の行き届いたお世話や同行の方々との交流もあり本当に有意義な初ヨーロッパ旅行となった。偶然にもこのサイトをご覧になっていれば、この場で謝意を申し上げたい。



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